頭の理解から、レイキの体験へ|レイキ研究ノート第001号・中編
4. でも、「頭でわかる」だけでは届かなかった
ここが、かつての私がつまずいたところです。仏教を学ぶほど、感情に抵抗することが苦しみを増やすと理解できました。瞑想でも、自分の内側で起こることを観察する大切さを学びました。
それでも、強い感情に飲み込まれているときには、観察することさえ難しかったのです。「ただ観ればいい」「抵抗しなければいい」
そう理解しているのに、できない。すると今度は、できない自分に腹が立つ。手放そうとして、手放せないことに苦しむ。
今思えば、私は「感情を手放すこと」そのものを、新しい目標にしていたのかもしれません。
感情をなくしたいという思いが、また別の抵抗になっていたのです。
もちろん、仏教や瞑想が役に立たなかったわけではありません。学んできたことは、今でも私の大切な土台です。ただ、当時の私には、知識を理解することに加えて、もう一つ必要なものがありました。
それは、
安心して、自分の内側にあるものを感じられる時間。
そして、そのことに気づくきっかけをくれたのが、レイキでした。
5. 中級習得3日目。突然、涙があふれた
今でも忘れられない体験があります。日本伝統式レイキの中級を習得して、3日目のことでした。いつものように、セルフヒーリングをしていました。
自分のお腹に、そっと手を置いていたときです。突然、涙がぶわっとあふれてきました。悲しい出来事を思い出したわけではありません。
誰かを思って泣いたわけでもありません。何か特別なことを考えていたわけでもない。それなのに、涙が止まらなくなり、私は声を上げて泣いていました。
不思議な体験でした。
悲しいという自覚を伴わない、理由のわからない涙。
頭の中に物語があるわけではなく、ただ涙が次々と流れてくるのです。そして、ひとしきり泣いたあと。私の内側に、なんとも言えない深い安らぎと、至福感が広がりました。
あのとき、私は思いました。「レイキは、本物だ」もちろん、涙が出た理由を科学的に特定できたわけではありません。
それが長く抑圧していた感情だったのか、身体がゆるんだことによる反応だったのか、正確なことはわかりません。けれど、私自身には、ずっと内側に抱えていた何かが、自然にほどけていったように感じられたのです。私はそれを、レイキを通して体験した「感情エネルギーの手放し」と捉えています。
それまで、何とかしよう、変わろう、理解しようと、いつも頭を働かせていた私。でも、その瞬間は何も考えていませんでした。ただ、自分に手を当てていただけ。
何かを変えようとしなくても、こんなにも深く安心できるんだ。
その体験は、私にとって大きな転機になりました。
6. 私がレイキで受け取った、一番大きなもの
あの体験を通して私が得たものは、単なるリラクゼーション以上のものでした。それは、自分自身への信頼でした。それまでの私は、不安になるたびに考えていました。
「どうしたら、この不安を消せるだろう」「どうすれば、もっと強くなれるだろう」自分の心を、いつも何とかしなければならないものとして扱っていたのです。
けれど、レイキを始めてから少しずつ、感覚が変わっていきました。不安になっても、手を当ててみる。考えが止まらないときも、まず静かに自分と向き合ってみる。
無理に答えを出さず、今の自分をそのまま感じてみる。その時間を重ねるうちに、以前ほど思考に振り回されずに過ごせる場面が増えていきました。そして、私の中に、ある感覚が育っていったのです。
「レイキがあるから、もう大丈夫」
これは、レイキをすれば何も問題が起きなくなる、という意味ではありません。悲しいことも起きます。腹が立つこともあります。
不安になる日だって、もちろんあります。でも、自分の内側に戻れる方法を知っている。自分を大切にする時間を、いつでも持つことができる。
それだけで、世界の見え方が少し変わりました。私にとってレイキは、感情を消すための技術というより、どんな自分であっても、安心して向き合うための実践になったのです。
足立みずほ|日本伝統式レイキ師範
灯-TOMORI-日本の「道」の精神で、癒しを探究する。灯-TOMORI- 公式サイト
参考資料
- 厚生労働省eJIM「レイキ」 科学的根拠と安全性に関する情報
※この記事は、筆者自身の体験・仏教や思想の解釈・研究知見を区別しながら紹介するものです。レイキによる特定の疾患や症状の治療効果は確立されておらず、医療や心理的支援の代替ではありません。心身のつらさが続く場合は、専門家にご相談ください。